NECの研究所はなぜ世界的な研究成果を出すことができるのか?
[2017.09.28]飯島澄男(いいじま すみお)氏〈NEC提供〉
毎年秋はノーベル賞が発表される季節です。日本人受賞者が例年大きなニュースになる中、NEC「IoTデバイス研究所」(茨城県つくば市)の飯島澄男(いいじますみお)さんが発見した炭素素材「カーボンナノチューブ」(Carbon nanotube)に関する研究は、近年、ノーベル物理学賞、化学賞の有力候補と言われており、世界的に大きな注目を集めています。飯島さんの世界的な発見を支えたNECの研究所とは、果たしてどんなところなのでしょうか。
1939年生まれ。電気通信大卒。東北大大学院修了。米アリゾナ州立大研究員を経て、87年NEC入社。
91年カーボン・ナノチューブ発見。09年文化勲章受章。現在、NEC特別主席研究員、名城大終身教授。
カーボンナノチューブとは?
カーボンナノチューブとは、黒鉛からつくられる素材で、「細くて軽くて強い」という大きな特徴があります。直径は1ナノメートル~数十ナノメートル(髪の毛の10万分の1程度の太さ。ナノは10億分の1)、炭素原子が網目状に細長くつながっている構造をしています。軽さはアルミの半分、強度は鋼の20倍、熱の伝わりやすさは銅の10倍、電気の通しやすさは銅の1000倍もあります。
カーボンナノチューブが持つ幅広い応用可能性〈NEC提供〉
こうした特徴を活かし、タッチパネルや太陽電池、スマホの画面などに使われている有機ELへの応用が期待されています。アメリカの調査会社によると、カーボンナノチューブの世界市場規模は2016年現在推定34億3000万ドル(約3850億円)で、22年には2.5倍以上の87億ドル(約9765億円)に拡大することが予想されており、潜在力は巨大です。
カーボンナノチューブが持つ幅広い応用可能性〈NEC提供〉
「偶然」から「見出した」カーボンナノチューブ
飯島さんがカーボンナノチューブを発見したのは91年。当時、世界の科学界では、そのちょうど6年前の85年に、「フラーレン(C60)」という新しい炭素素材が発見されるというニュースがありました。まもなく2本の電極を使ってフラーレンの大量生成が可能となり、世界中の研究者がこの研究をスタートさせます。しかし、ほとんどの研究者は、フラーレンが多く含まれる陽極側についた「すす」ばかりに注目する中、飯島さんはゴミだと思われていた陰極側の「すす」に着目。その中に細長いチューブ状の物質があることに気づき、これがカーボンナノチューブであることを突き止めました。
飯島さん自身はこの発見を「セレンディピティー」(serendipity、偶然の幸運)だったと振り返っています。世界中の研究者がフラーレンの研究をする中、飯島さんだけが陰極側の「すす」に関心を持ち、それを観察し、カーボンナノチューブを見逃さず見出すことができた。それは人一倍の好奇心と研究者として独自の勘があったからといえるでしょう。
ノーベル賞受賞の新素材フラーレンを発見できず
実は飯島さんもフラーレンを発見すべく、研究を重ねていました。電子顕微鏡を使った研究の中で、自らの目でフラーレンを見ていたにも関わらず、そこから「見出す」ことができませんでした。85年にフラーレンを発見したイギリスの科学者は、のちにノーベル化学賞を受賞。飯島さんは、この科学者と同じ研究をしていたのに発見には至らず、悔しい思いをしています。飯島さんが87年に発表した「The 60-Carbon Cluster Has Been Revealed!」(フラーレンは発見されていた!)という論文のタイトルからも、その思いが伝わってきます。
好奇心の強さがノーベル賞級の発見につながる
飯島さん自身はどんな方なのでしょうか。飯島さんの研究をずっと近くで見続けてきた研究所ナンバー2の萬伸一さんは「何よりも好奇心が強い人」と指摘します。好奇心旺盛で他の人が見逃すようなことにも着目できる。そのため、他の研究者が目を向けなかった陰極側の「すす」に注目し、強い関心を持って研究を進め、偶然の出会いからカーボンナノチューブの発見にまでつなげた。これらは飯島さんならではの力量といえるでしょう。
さらに、大学院時代には、研究に欠かすことができない電子顕微鏡と出会い、目には見えないものを見ることに深い感銘を受けたそうです。飯島さんは電子顕微鏡を「好き」といい、研究者にとって大切なことは自分の好きなことにのめり込むことだとも指摘しています。萬さんは「こうしたことが(発見に)うまくつながった。誰もができるわけではない。偉大だ」とその功績をたたえます。
IoTデバイス研究所 所長代理 萬伸一(よろず しんいち)氏
研究者を育てるNECの組織風土
飯島さんが研究を続けるNECの研究所には現在は100人弱の研究者が在籍。カーボンナノチューブなどを扱う「ナノ系」、量子コンピュータを扱う「量子系」といった少人数のグループに分かれて研究をしています。
実験室はグループごと、それ以外は全員同じ大部屋で業務を行っています。研究所ナンバー2の萬さんによると、居室をあえて同じにすることで、研究者同士の会話や雑談を促し、ユニークな研究成果が出てくるのを狙っているそうです。たとえば、自分の専攻とは異なる分野の研究についても、研究者同士が議論しあったり、雑談したりすることがあたりまえなのだそう。
実際、飯島さんがカーボンナノチューブを発見した時も、当時の上司から「世界的に注目される名前をつけておいたほうがいいのでは」とアドバイスを受け、研究所のスタッフが集まり、「飯島チューブ」「NECチューブ」など、名前のアイデアを出しあったそうです。そして、飯島さんのカーボンナノチューブの発見自体も、「理論物理など他の分野を専攻する同僚の研究者が、飯島さんの研究を面白がった」(萬さん)ことも大きな後ろ盾となりました。
NEC IoTデバイス研究所(筑波研究所)外観〈NEC提供〉
15%ルールで研究者に自由を
さらにNECは研究者仕事をする上で「15%ルール」という独自の制度を導入しています。これは仕事のうち15%については「失敗してもいいから、自由にやってよい」というもの。研究者に裁量を与え、自由なアイデアを生み出すことを狙った仕組みで、15%ルールで行う研究については、上司への報告は必要なく、自身の研究に全く関係ない事をテーマにしても問題ありません。NECは「研究者が自由であったり、型破りな発想をするのが許される雰囲気がある。それが研究を突破していく力になる」とこの制度を導入している意義を語ります。
自由な風土が飯島さんに続く世界的な成果を生み出す
カーボンナノチューブを発見した後も、研究所は新型の炭素素材を発見するなど、世界的成果を上げ続けています。98年には飯島さんが「カーボンナノホーン」を発見したほか、16年には飯島さんの後輩の研究員・弓削亮太さんが「カーボンナノブラシ」の存在を突き止めました。弓削さんの研究は世界レベルの基礎研究で、リチウムイオン電池のほか、電子部品への活用が見込まれています。
研究所の自由な風土に加え、研究者を自由にさせる仕組みが、飯島さんの研究を生み、ノーベル賞級の研究を続けることができる下地になっているようです。
カーボンナノブラシを発見したNECの弓削亮太主任研究員(NEC提供)